(システム|ソフトウェア)のアップデートについて思う事
本記事は
ミーハーにUbuntu Desktop 12.04 LTS をインストールしてみたよーって話 - その手の平は尻もつかめるさ
の続きとも言えなくもない感じです。*1
まあともかく。
良いアップデートとは
良いアップデートかそうでないかは、「ユーザーに劇的な変化を感じさせない」という点にを満足しているか否かにかかっているではないでしょうか。アップデートによってUI を変更したりするのは確かに見た目が派手で、「アップデートしましたよ!」とアピールするのにはうってつけだと思います。
ユーザも最初のうちは注目して、面白がってもくれるでしょう。
しかし、そうした表層を劇的に変化させるアップデートはユーザに痛みを伴わせるアップデートです。
「今まではここをこう操作すれば設定画面に行けたのに、バージョンアップしたら出来なくなった!」
だとか、
「今回のアップデートでキーバインドが全体的に変わっている!」
だとか、そういった変化を喰らわされた経験はありませんでしょうか。僕はあります。これは並々ならぬストレスを与えてきます。
表層を変化させるというのは、つまりこういった変化を生みやすくしてしまう、という事になります。
ユーザがその変化に慣れるまで、継続的にストレスを感じ続けるアップデートは果たして良いアップデートでしょうか?*2
なので、ユーザがストレスを感じること無しにアップデートによる恩恵を授かれるアップデートこそが真の良いアップデートではないでしょうか。
ですので、前の記事で
「Ubuntu 12.04 入れたけど、Classic 表示にしたら11.10 と大差ないでやんのwwwwwwwwww」
という趣向の文を書きましたが、これは非常に良い事だと思います。むしろリスペクタブルです。
そこには、11.10 から12.04 への移行にかかるコストは存在しません。
多分、表面的には11.10 と大差がなくとも、裏ではナイスな革新が起こっていることでしょう。
そのナイスな革新に気づかなくても、ナイスな革新が及ぼす良い影響を享受できるというのは素晴らしい事だと思います。
UI を使いこなせるようになる為には訓練が必要
という訳で、いきなりUnity というUI をユーザに強要して、なおかつ特定の手段*3を踏まないとClassic 表示に戻せなくしたというUbuntu の姿勢はいかがなものかと思うんですよねぇ。
確かにUnity は良いUI なのかもしれませんが、いきなりあそこまで変化させられてしまってはユーザは置いてけぼりを喰らったと感じてしまいます。
Vi やEmacs をお使いの皆さんならご理解いただけると思いますが、使い始めの頃は
「こんなトンチキなエディタ使ってられっか!」
と一度は憤りを感じられたことでしょう。
しかしある程度訓練を積むと、信じられないほどの作業効率があがり、日々の仕事をスピーディにやっつけることが可能となります。
つまり、UI を使いこなすにはある程度の訓練が必要となるのです。
Unity も使いこなすにはある程度の訓練が必要なのでしょう。
ただ、その訓練にかかるコストはどれくらいなのか、そしてそれによってどれくらいのフィードバックがあるのかが現時点では不明瞭な為、
Unity に対して自分のリソースを投資するのは若干のためらいが生じます。
もしも、
「Unity を使ったら、志望校に合格して、部活でも優勝して、しかも彼女まで出来ました!」
みたいな、進研ゼミ的結果が得られる事が判明したら、僕もUnity を使う訓練を積むかもしれませんが。
でもUnity ちゃんを責めないで
ただ、今回導入された「Superキーを長押しすればショートカットキー一覧が見れる」という機能は、その訓練に要するコストを少しでも削減しようとする試みの一環とも受け取れます。*4
こうした動きが強まってくれば、Unity も流行し始めるような感じもします。
何はともあれUbuntu は好きなディストリビューションなので、今後のUnityおよびUbuntu には期待です。